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歴史コラム

相島

『相島の話~このコーナーは、宮地嶽神社のいち参拝者でもあり、歴史研究家でもある、古根和彦さんが連載するコラムを紹介してまいります。

 宮地嶽神社の「光の道」は有名ですが、その「光の道」が延びる相島に足を延ばす人はそれほど多くはないでしょう。相島と言っても福岡周辺にお住まいの方でもない限り、ほとんどお分かりならないと思います。
 しかし、「光の道」からまっすぐ延びるその先は、明らかにこの相島であり、この島に渡りたい、渡って逆方向から宮地嶽神社を見たいと考える人が出てきても決しておかしくないはずです。この相島は新宮沖8キロの玄界灘に浮かぶ新宮町の一島で、同時に一つの大字を成しています。古来、宗像ではなく糟屋との関係が深いとされ、渡船もこの新宮町から出ているようです。
 さて、この島の海岸には石で造られた多くの海岸性墳墓が存在しています。参道からのラインはこの珍しい250基にものぼる積石塚群集墓の一角にある最大級の120号古墳を貫いているのです。この積石塚古墳と呼ばれるものは一般には海人族によるものとされ、「光の道」がこの群集墓に向かっていることそのものが宮地嶽神社の重要な性格の一部を成している証拠とも言えそうです。
 ともあれ、相島は足を踏み入れた途端に福岡周辺の喧騒から解き放され、穏やかな心地にしてくれます。ましてや、この島は猫の島とも呼ばれ、群集墓までの道程も、比較的平坦でありそれほど苦にはなりません。ただ、海岸に入ると丸いながらも玄武岩質の石がゴロゴロしており、間違っても革靴などでは入り込まない事をお勧めします。
 
 島には見るべき寺は元より、高妻神社、若宮神社、恵比須神社…といった神社もあるのですが、積石塚古墳群の手前にある剣神社(これも海人族との関係で考えています)を探されるのも良いでしょう。夏場は草も生い茂り見つけるだけでも大変でしょうが、そもそも神社探訪とはそういったものなのです。この神社については、遠賀川流域に多い剣神社に繋がるものなのか、この岬の形状を見立てた宇土半島の永尾剣神社(谷川健一のエイの尾説)の可能性もあるかと今も考え続けています。外にも、朝鮮通信使を始めとして色々な伝承や歴史が感じられるものもあることから、時間の許す限り(勿論渡船の時刻の事ですが)散策されることをお勧めします。

相島へは、町営渡船「しんぐう」で渡ることができます。詳しくはこちらのリンクをご覧ください。
https://www.town.shingu.fukuoka.jp/index.cfm/1,970,284,191,html