奥の宮八社 七番社 水神社

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水神社のご紹介

人々の水に対する思いや信仰が水神社に込められています。

宮地嶽周辺には大河がありません。それは神の恵み”雨”が地下水となり、地下に大きな埋蔵水として流れているのです。 そこでここは龍神様が差配され水枯れもする事無く今日でも水がコンコンと湧きます。

かつて宮地嶽周辺の農家では村民はお互いに助け合い、11才以上の村民総出で溜池(林口池)を造って水不足の解消に努め、年貢米はいつも一番に納めていました。そのため、天明5年(1785)の大飢饉のときも、宮司村だけは年貢米の返上を願い出ず完納し、時の藩主が宮司村を他藩の模範として表彰し、寛政2年(1790)褒美として米六百俵を贈ったという歴史があります。このように水を大切にしてきた宮地村の人々の水に対する思いや信仰が水神社に込められています。

水神社だより

2011年1月アーカイブ

2011年1月27日

宮司からの解答

これは昭和初期の絵葉書かな?

しかし、貴君は未だ若いのでその頃の宮地嶽神社は解らないでしょう! ...と言っても、実は私も生まれる前だから解らないけど...

でも、子供の頃はこの"ミニ矛"が本殿床下に沢山奉納してありました。

と言うのも、当社に参拝された方々はこの矛を購入され、お願い事と氏名を記入され神様に願をかけられていました。

宮地嶽が祀られたには今から1600年程前、当時の武器は太刀(太刀)に矛(ほこ)それらは命に次ぐ大切なものとして武人に崇めれていました。 そんな所から大切な物を神様に奉納し願いを叶えてもらう信仰が出来、以来神社には沢山の太刀や矛が奉納されています。時代が下り近世に成ると矛をモチーフした物をお供えしお願い事をするようになったのです。

そんな信仰形態が、昭和50年代まで続きましたが、今では矛は参拝の方々がお持ちに成る信仰より、当社で授与するのみとなりました。

 

貴君も承知の拝殿に大きな矛が掛かってますが、それらが茲に言う信仰です。

 

 


2011年1月26日

大正時代

先回のブログの続きで、今日は大正時代の宮地嶽神社の門前をとらえた写真を紹介したいと思います!

(今回は、水神社には関係ありません。水神社の古写真がなかなかみつからなくて・・)

真ん中の女の子2人、とってもかわいいですね。

あー、日本っていいなぁと思えるような光景です。

でも、今の宮地嶽神社の趣も、実はこの写真とあまり変わりがないんですよ!

宮地嶽神社のまわりには幼稚園もたくさんあって、子どもたちがいつも遊びに来てくれています。

持っているものは、「かざぐるま」から「プリキュア」になってしまいましたが(笑)

monzen.jpg

 

ところで、ここで、大きな疑問が!

この鳥居の左にある、かかしみたいなのは何でしょう。

よく見ると奥のほうにも同じものが。。

自分の無知が恥ずかしいですが、思い切って本殿の宮司に聞いてみようと思います。

↓これですこれ! 宮司!これはいったいなんでしょう!? 

monzen2.jpg

 


2011年1月22日

神苑

宮地嶽神社の長い石段を登る途中に小さな神苑があるのをご存じですか?

池があって、水神社ともゆかりのある場所です。

この神苑をうつした明治時代末の写真をみつけました。

以前、このブログにも書いたとおり、古代の九州北部王朝との関係が伝えられてきたきた

宮地嶽神社ですが、日本最大級の横穴式石室を有する古墳が江戸時代に発見され、

その事実が解明されてきました。やがてその石室から黄金の至宝が続々とみつかったわけです。

 

この写真の明治時代の頃もすでに、勝負の神様、金成りの神様として多くの参拝者が

いらっしゃっていました。そんな明治の参拝者の"気分"がなんとなくうかがえる写真です。

 

写真では神苑のまわりはすっきりしていますが、今は後ろのほうにみえる木々がすっかり成長し、

森の中にある庭のような状態になっています。石段を登ることだけに集中すると見落としてしまいますから

途中で右のほうをながめてくださいね。小さな神苑が見つかります!

 

shinen.jpg